結局のところ福岡県って?-福岡県のススメ|福岡県にチャレンジ

結局のところ福岡県って?

ここでは、福岡県に関する様々な情報を発信しています。 中国の当時の国家である隋や朝鮮との外交に当たったという記述が『日本書紀』にあり、ここで大宰府の名前が出てくるのです。ところで、先ほど異国との戦争を想定した軍事、と書きましたが、実際にそのようなケースはあったのでしょうか。有名なところでは鎌倉時代に元が侵攻してくる元寇がありますが、それよりずっと古い7世紀中期に、大宰府が異国との戦いを想定して防備を強化したことがありました。元々は百済が新羅、そして唐と争っていたのですが、百済と同盟関係にあった日本はこれを救援すべく異国へ軍を派遣。

現在の福岡県一帯から2万とも3万ともいわれる軍勢を送り込みますが、白村江の戦という歴史的にも有名な一戦で一敗地にまみれます。百済も滅亡、日本も助けるどころか自身が侵略の危機にさらされることになったのです。結局、唐や新羅とは大規模な戦争状態に陥ることはなく、数々の防御施設が実際に使われることはありませんでした。博多、という名の由来ですが、はっきりとした説ではありませんが、『海域、土地博く人、物産が多し』という言葉から博多となったのではないか、というのが有力です。

遣唐使が派遣されたのは630年ごろが最初とされますが、なかでも有名なのは804年に派遣された第11回の遣唐使。空海は現在の福岡県福岡市博多区の位置に真言宗の東長寺を開き、今では九州における真言宗の拠点寺院となっています。肝心の唐の勢力が弱まってきたこと、また、渡航に関して非常に危険が伴うことが理由とされ、これを進言したのが、大宰府となじみが深い菅原道真です。菅原道真は中流貴族の出で、天皇の信任厚く出世街道を登っていくのですが、彼の出世を妬んだ、あるいはその政治改革を恐れた人たちの陰謀により、無実の罪を着て大宰府へと流されます。

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