福岡県を判断する-福岡県のススメ|福岡県にチャレンジ

福岡県を判断する

福岡県について、この文章を一度じっくり読んでみてください。 なぜ天神かというと、先に述べたように落雷で彼のライバルが死んでいるからで、雷を操る雷神に結び付けられたのです。太宰府天満宮もこうした経緯でその名がつけられることになります。道真の話はここまでにして、さらに時代が下って平安時代。福岡一帯は商業地としての性格を強めていき、当時の中国の国である宋の商人がやってきて、博多近辺の有力寺社や貴族と結ぶようになります。

当然、そうした大都市は犯罪者集団、海の場合は海賊に狙われることになりますが、大宰府がこれを撃退したという記録も残っています。平安時代末期には、時の権力者である平清盛が袖港を築いたという記録も。鎌倉時代になっても、福岡一帯が商業の地として栄えたことは言うまでもありませんが、この時代における福岡一帯の最大の出来事といえば元寇。当時、アジアからヨーロッパに至るまで、広大な版図を築いたモンゴルの大帝国が、アジアの小さな島国である日本を侵略しようと起こしたこの戦い。

正確には1274年の文永の役、1281年の弘安の役の2回になりますが、いずれも福岡県の湾岸部、博多周辺が主な戦いの場となりました。日本が外国に勝利した歴史的な出来事とされ、今も神風という言葉は日常的にも使用されることがあるほどですが、近年はこうした戦いの経過が本当なのか、疑う声もあります。神風が起こったというのも疑わしいものであれば、そもそも元は日本侵略をする気はなく、ただ単に脅しをかけた程度だったのではないかというものまで、じつに百花繚乱。歴史の常識は時とともに変わっていくものですが、とくにこの元寇は注意しておかないといけない出来事の1つかもしれません。

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