福岡県で上りつめる-福岡県を考える|福岡県にチャレンジ

福岡県で上りつめる

ここでは、福岡県について詳しく説明していこうと思います。 福岡藩は43万石となります。のち、直方藩は当主が福岡藩の後継者となることで消滅、福岡藩は47万石となり、これが最終的な石高となります。なぜわざわざ分家を作るのかというと、当時の大名家は後継者がいないと当主が死去した時点でお取り潰しになるためであり、同族の後継者を確保することはお家存続の至上命題だったのです。直方藩の当主が福岡藩の養嗣子となったのも、本家である福岡藩を確保するためであり、その意味では立派に機能したといえるのでしょう。

ところで、そうした後継者を巡っては当主や家族、さらには家臣をめぐってさまざまな争いが起こるもの。忠之は自らの近臣ばかりを取り立てて、平和な時代にあわない軍事路線を強化。幕府から目をつけられて福岡藩は断絶の危機に瀕します。栗山大膳がわざとそうなるように仕向けた、とするなど後世の脚色が強く、実際の騒動がどのようなものだったかは定かではありませんが、以降は大きな事件を起こすこともなく、幕末まで生き抜くことになります。

九州は海外の技術を受け入れやすく、幕府の目が届きにくいという意味でも、討幕を志すには最適の場でした。実際、鹿児島の薩摩は討幕の主役となり、佐賀藩もそれまでの日本になかった新たな技術を多数導入して新時代の幕開けに貢献。熊本藩も有能な人材を輩出し、長崎は異国との接点を持つ場として維新志士の活躍の場となりました。最も大きな理由が藩内の意見を統一できないことでした。

Copyright (C) 福岡県にチャレンジ All Rights Reserved.